[マンガの感想]アイシテル-海容-

 

佐世保でいたましい殺害事件があり、何となく思い出して、このマンガを読み返していました。

去年かおととし、「いつも自分が選ばない傾向のマンガを読んでみたいなあ」と思って、
何となく目についた1冊を買っただけだったのですが、ひっくり返るほど素晴らしい作品でした。

小学生が、より年下の小学生を殺害するというショッキングな事件を軸に展開するこのマンガは、
特定の事件を想起させるものではなく、また、今回の事件との類似点も、まったくありません。

ただ、子どもを育てていくうえで、何らかの事柄の被害者あるいは加害者の親になる可能性は誰にもある。
双方の親は、どちらも等しく「親」である。という視点で描かれており、胸に迫ります。
(双方の親が同じように子に責任を果たしてきたはずだ……という意味ではありません)

母親が育児をすべて担わされることへの重責感……と同時に、家庭での存在感を失う父親。
子どもを持つことによって、個人としてのアイデンティティが奪われていく、母親たちの閉塞感。
思春期に差し掛かる子どもたちが、幼児期とはべつの意味で「親」を必要としているということ。
無条件に愛される年の離れた末っ子と自分を比較して、揺れ惑う思春期の姉のつらさ。
少年法の手落ち。被害者一家がインターネット上で匿名の中傷にさらされる事態。

などなどが、細かく描きこまれているのですが、ストーリーの暗さを差し引いても、かなりヘビーな社会派作です。
ストーリー自体は単純といっても、これだけの内容を濃密に描きこんで、
「ツメコミ過ぎ」の印象を与えず構成も完ぺきで、1コマのムダもありません。

2009年にドラマ化もされていたようで、当時は知りませんでしたが、昨年BSで再放送されていた時に観ました。
マンガほどではないものの、良作だったと思います。
アイシテル-海容- ドラマ公式サイト

2009年というと、ワタシは1歳の息子を育てていた時。
その当時にドラマを見ていたら、あまりの重さにグッタリしてしまっていたかも。。。

佐世保での事件については、まだわからない点も多いのですが、、、1点、誤解を恐れずに言えば
こういう事件が起きた時に、教育者たちの言う「命の重さの教育が届いていなかった」というコトバは
本当に言う必要のあるものだろうか、といつも思います。

家庭教育や学校教育、もちろんそれぞれに意味のあるものですけれど
「いじめ」といった集団に発生するタイプの事柄ではなく
「命を奪うか奪わないか」といった根源的な部分の教育は
その命を生み出した家庭にしかできないのではないかと、わたしは考えています。

「だからあの子は簡単に命を奪ってしまった
おれたちがあの子の命を愛してこなかったから」

「アイシテル-海容-」の中で家庭をかえりみなかった加害者の父親が、やがて自分たちの過ちに気づいて漏らすセリフです。

命、という言葉は、「ありのままの姿」に置き換えてもいい、かもしれません。
子どもだけではなく、母親も父親も、ありのままの姿が承認されない家庭は悲しい。

誰しもわが子に「こうあってほしい」願いは持つもの……だと思いますが、
あまりにも子のありのままの姿をかけ離れていないか
本当にその子を愛せているか
考えたい時、これからもこのマンガを読むと思います。

(文責: 樋川)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>